
洗いすぎて、乾燥したことがある。
そのころの私は、「洗うものを使わなくちゃ」と思っていた。
ほとんど、洗脳のように。
投稿では、そこから何を変えたかを話した。
この冊子には、その投稿に入りきらなかったほうを置いた。
画像は1枚に12行しか入らない。調べたことの多くは、削るしかなかった
だから、投稿で話したことは繰り返さない。
話がつながらないところだけ、短く挟む。
私は日本で育って、今はアメリカで暮らしている。
韓国にもよく行く。三つの国で似たような商品を見てきて、最初はずいぶん混乱した。
その混乱の正体も、ここで書く。
次に棚の前に立ったとき、いつもの一個が少し違って見えるように。
なぜ、毎日洗うようになったのか
投稿では、家庭に浴室が広がったのは1960年代以降だと書いた。
それは入れ物の話だ。
風呂が家に入ってきたことと、毎日そこで全身を洗うようになったことは、同じではない。習慣のほうは、どこから来たのだろう。
調べてみると、記録が残っていた。
業界が、団体をつくった
アメリカで石鹸とグリセリンをつくる会社の団体ができたのは、1926年のことだ。いまも続いている団体で、その沿革は団体自身が公開している。
翌1927年、その団体はひとつの組織をつくった。
Cleanliness Institute ── 名前を訳せば「清潔の研究所」になる。
目的は、学校で清潔の価値を教えることだった。
冊子をつくり、ラジオで話し、雑誌に広告を出し、新聞社に資料を送り、学校の授業にも入っていった。
主な相手は、子どもだった。
「A Book About Baths(お風呂についての本)」という冊子は、24ページかけて入浴の作法を説いている。
朝の入浴。
仕事から帰ったあとの入浴。
子どもの入浴。
湯の温度による違い。
1927年から1932年までの五年間、何をしたのかという記録が、いまも学術誌に残っている。
なぜ、一社ではなく業界だったのか
石鹸をつくる会社どうしが広告で競っても、差はつきにくい。
どれも石鹸だからだ。
それよりも、業界がひとつになって「清潔は大事だ」と広めるほうが効いた。
清潔が大事になれば、石鹸を使う場面が増える。どの会社のものが選ばれても、全体は増える。
ソープオペラという言葉
1930年代、石鹸や家庭用品をつくる会社が、昼の時間帯のラジオ連続ドラマのスポンサーになった。家にいて、洗うものを選ぶ人に届く時間だったからだ。
そして、その番組がそのまま呼び名になった。
ソープオペラの「ソープ」は、石鹸のことだ。
いまも使われているこの言葉の中に、当時の売り方が残っている。
日本にも記録がある
1890年、花王石鹸が生まれた。
当時の日本にあった石鹸は、高価な贅沢品である舶来物か、安く手に入るけれど品質の劣る国産か、そのどちらかだったという。
そこへ、国産で品質の高いものとして出てきた。
売り方のほうも残っている。
新聞広告、ポスター、歌舞伎の引幕、蒸気船、浴場の温度計、看板。
東海道本線の沿線に立てた野立て看板は、鉄道広告の第一号といわれている。
浴場の温度計、というのが面白い。洗う場所そのものに、名前を置いている。
これらは全部、花王が自分の歴史として書いていることだ。
だから今、自分で決めていい
こう書くと、だまされていたという話に聞こえるかもしれない。
私はそうは思っていない。
石鹸は実際に汚れを落とす。売る側が広めたことと、それが役に立ったことは、両立する。
ただ、ひとつだけ知っておきたいことがある。
私が「毎日、全身を石鹸で洗うのが普通だ」と思っていたとき、その「普通」は、私が自分で決めたものではなかった。
決めた覚えがないのに、決まっていた。
それを知ってから、私は一度、置いてみることにした。
そういう時代があった。だから今、自分で決めていい。
角層は、場所によって厚さが違う
投稿では、角層はラップ1〜2枚ぶんの薄さだと書いた。0.01〜0.02ミリ。
その数字には、内訳がある。
71人を測った研究では、前腕の背側が18.3マイクロメートル、肩が11.0、臀部が14.9という値が出ている。マイクロメートルは1000分の1ミリだ。
同じ体の中で、倍近い差がある。
「体は一律ではない」というのは、感覚の話ではなく、測れる話でもあった。
投稿では、東洋医学が「肺は皮毛を主る」と見てきたことにも触れた。
あれは、上の測定値とはまったく別の種類の知識になる。
どちらかが正しいのではない。別々の見方として、分けたまま持っておきたい。
道具と、素材のこと
投稿では、日本の糠袋と韓国のイタリアタオルを並べた。
名前だけで、中身までは書けなかった。
糠袋は、江戸の本に書かれている
1813年に刊行された『都風俗化粧伝』に、使い方が残っている。
絹や木綿の袋に米ぬかを入れ、ぬるま湯に浸してしぼり、顔や体をなでるように洗う。
江戸の銭湯では、番台で米ぬかを売っていた。持っていかなくても、その場で買えた。
イタリアタオルは、1962年の釜山で生まれた
釜山の織物工場が、イタリアから輸入したビスコースレーヨンの糸で生地を織った。
そのざらつきから生まれたものだ。
名前は、糸の生産国から来ている。だからイタリアタオルは、イタリアにはない。
조두(チョドゥ)── 豆や穀物の粉
投稿では名前を出さなかった。漢字で書くと「澡豆」になる。
小豆や緑豆、米などを挽き、殻を除いて、細かく砕いて篩にかけたものだ。
朝鮮時代の洗顔文化の中心にあって、開化期に石鹸が入ってくると、次第に姿を消していった。
名前を出さなかったのは、もともと中国の医書に由来する語で、韓国だけのものと言い切れないからだ。
ここでも、そこまでにしておく。
どれも、その土地にあるものから生まれている。
米が身近なら、米ぬか。織物工場があれば、その糸。
石鹸の、いちばん古い記録
投稿では「古代メソポタミアに記録がある」とだけ書いた。
その記録の中身を書いておきたい。
イラク南部のギルスという遺跡から、楔形文字の粘土板が出ている。およそ4,500年前のものだ。
そこには、油と木の灰を混ぜて加熱する分量が書かれている。
最古の化学反応の記録とされているものだ。
ただし、書かれている用途は、羊毛の洗浄と染色だった。
体を洗うためのものだったとは限らない。研究者は、いつ誰が発明したのかを特定していない。
できたものも、今の石鹸とは別の、不純な液状のものだったとされる。
だから、年号で語れる話ではない。
「数千年前から、油脂とアルカリを出会わせてきた」まで。
そこから先は、今も同じことをしている。
名前と、決まりのこと
投稿では、三つの国は決まりが違う、とだけ書いた。
なぜ違うのか。そこを書くと、棚の見え方が変わる。
アメリカ ── 「石鹸」と名乗ると、化粧品ではなくなる
アメリカには、soap と呼ぶための条件がある。
大部分が脂肪酸のアルカリ塩であること。
soap として表示されていること。
そして、表示が洗浄のことだけを言っていること。
脂肪酸のアルカリ塩というのは、油脂とアルカリからできたもののことだ。
この三つを満たすと、その製品は化粧品の枠から外れ、別の役所の管轄になる。
そして、化粧品には成分表示の義務があるが、soap はその外にいる。
もうひとつある。
「うるおう」「においを抑える」のように、洗うこと以外の効果を書いた瞬間、それは化粧品になる。化粧品になれば、成分表示の義務がかかる。
洗うことしか言わなければ、成分を書かなくていい。
何かいいことを言った瞬間、書かなければいけなくなる。
そう知ってから、私は棚の呼び名の多さが少し違って見えるようになった。
日本 ── 全成分表示は、規制緩和と引き換えだった
日本には、体を洗うものの呼び名についての決まりがない。
そのかわり、成分のほうに決まりがある。
2001年、化粧品は、製造のたびに承認や許可を受ける仕組みがなくなり、各社が自由に作れるようになった。その引き換えに、使った成分を全部書くことになった。
自由にしていい。ただし全部書く。そういう取り引きだった。
韓国 ── 扱いが変わった背景
韓国で、体を洗う固形石鹸が化粧品として扱われるようになったのは、2019年の年末からだ。
背景には、人体に直接使う製品の安全管理を強くしようという流れがあった。
1年の啓導期間を置いて、2021年から義務が完全に適用されている。
並べると、逆になっている
アメリカは、名前に条件がある。
けれど、その条件を満たすと成分表の義務は外れる。
日本は、名前に決まりがない。けれど、成分は全部書く。
名前に厳しい国は、成分表に緩い。名前に緩い国は、成分表に厳しい。
どちらが正しいという話ではない。線をどこに引くかが違うだけだ。
私が三つの国で混乱していたのは、たぶんこれだった。
※ 投稿で「『シャボン』の語源はまだ決まっていない」と書いた。補っておくと、フランス語の savon 説は否定されていて、残っているのはポルトガル語 sabão と中世スペイン語 xabón の二つ。音としては xabón のほうが近い、という見方が出てきている。
成分表の、書かれていないところ
投稿では、成分表のどこを見るかを話した。
ここでは、その裏側を書く。書いていないときのことだ。
薬用石けんは、医薬部外品にあたる。
医薬部外品には、全成分表示の義務がない。
品質や有効性や安全性が、個別に承認される仕組みになっているからだ。
けれど、書いてあるものが多い。日本石鹸洗剤工業会が、業界の自主基準として全成分表示を行っているからだ。
書いていないから隠しているのではなく、書く義務がそもそも無い。それでも書いてある。
それは、書いた側の判断だ。
無いから悪い、ではない。無いときは「ここには書いていない」と気づく。
それも一つの発見になる。
投稿で「表示は全部を教えてはくれない」と書いた。
教えてくれない理由には、こういう仕組みの話もあった。
石鹸を見る、7つの視点
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来歴いまの当たり前が、いつからのものかを見る。入れ物(浴室)と習慣(広め方)は別の話。
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洗い方「毎日 全身を石鹸で」は当たり前ではなく、選び方のひとつだと知る。
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皮膚洗う話の前に、洗われている側を見る。触れているものは、洗うものだけではない。
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道具道具の違いは優劣ではなく暮らしの違い。よく洗うと強くこするは別。
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石鹸かたちではなく中身。油脂とアルカリからできているかを見る。
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名前と中身名前は名札。国が変われば、線の引き方も変わる。
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成分表何が洗っているか、最初の数個。全部読めなくていい。
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早見|成分表で見る、ふたつ
全部覚えなくていい。ひとつ見つけられれば、それでいい。
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ひとつ|何が洗っているか石鹸系か、それとは別の界面活性剤か。
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ふたつ|最初の数個多い順に並んでいるから、そこが土台になる。
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石鹸系の手がかり石ケン素地 / カリ石ケン素地 / Sodium Olivate / Sodium Cocoate / Sodium Stearate / 油脂+水酸化Na・K
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別の洗浄成分の例Sodium Methyl Cocoyl Taurate。ひとつの製品に、石鹸系と両方入っていることもある。
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書いていないとき薬用石けんは医薬部外品で、全成分表示の義務がない。無いから悪い、ではない。
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早見|三つの国の決まり
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アメリカsoap と呼ぶ条件がある。その条件を満たすと化粧品の枠から外れ、成分表示の義務もかからない。
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日本呼び名の決まりはない。2001年から、化粧品は全成分表示。
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韓国2019年末から、体を洗う固形石鹸が化粧品の扱いになった。だから全成分表示。
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並べると名前に厳しい国は、成分表に緩い。名前に緩い国は、成分表に厳しい。
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この号の出どころ
角層の厚さは、Sandby-Møller らの報告(Acta Derm Venereol, 2003)から。71人を測ったもの。
「肺は皮毛を主る」の原典は『素問・痿論』。
糠袋の使い方は『都風俗化粧伝』(1813年刊)から。
イタリアタオルの成り立ちは、釜山の織物工場についての複数の報道から。
ギルス出土の楔形文字板については、Open University「The history of soapmaking」ほか。
조두(澡豆)は、韓国民族文化大百科事典と、朝鮮時代の洗顔文化についての論文から。
「シャボン」の語源は、国立国語研究所の解説から。
三つの国の決まりは、アメリカ食品医薬品局の soap についての説明、日本化粧品工業会と日本石鹸洗剤工業会の解説、韓国の区分転換についての業界団体の案内から。
毎日洗うようになった来歴は、Suellen Hoy『Chasing Dirt: The American Pursuit of Cleanliness』(Oxford University Press)、1927年から1932年までの活動記録、いまも続く業界団体自身が公開している沿革、スミソニアン国立アメリカ歴史博物館の資料、そして花王が公開している社史から。
確かめられていないことは、確かめられていないと書きました。
この冊子について
ここに書いたのは、二〇二六年の私が知っていることです。
来年、違うことを書いているかもしれません。
実際、これまでにも何度か変わってきました。使うものも、洗い方も、そのたびに少しずつ入れ替わっています。
それでいいと思っています。
読んでいると、分かることが増える。そして、分からなかったことに気づく。そうやって変わっていける方が、健やかだと感じます。
6本の投稿を通して伝えたかったのは、たぶんこれです。
思い込みを、一度 置いてみる。
やっかいなのは、思い込んでいる自分に気づいていないこと。
知らないと知れば、そのあとの選択が変わります。
だから、これを正解として受け取らないでください。
あなたが選ぶものは、あなたの暮らしと、あなたの体と、あなたの季節から決まります。私の選ぶものと違っていて、まったく構いません。
まず、見てみる。触れてみる。
そこから先は、あなたのほうが詳しくなります。
先人たちが紡いできた知恵を受け取り
あなたの暮らしの中で育て
また誰かへ手渡していく
