TANE JOURNEY
洗う回数は、
誰が決めたのか
広告5枚と、50年で変わった
ひとつの数字
自分に肌のトラブルがあって、何がいいのかを探した。
探していくうちに、自分の思い込みを知った。
「洗う」と聞いて簡単に想像するもの ── それは本当に正しいのか。
洗う回数は、いつ決まったのだろう。誰が決めたのだろう。
調べてみたら、記録が残っていた。同じ会社の広告が、50年かけてその数字を書き替えている。推測ではない。広告の文面である。
WHAT YOU GET / このページで分かること
読み終わると、三つ持って帰れる
全部を覚えなくていい。ひとつ残れば、それでいい。
- ひとつ洗う回数が、いつ・どうやって、いまの数になったか。年つきで分かる。
- ふたつ「これ、誰が調べたんだろう」と、一度だけ思えるようになる。
- みっつ今日、自分が何回洗っているか。数えられる。
最初にすることは、ひとつだけ。今日、手・顔・体・髪を、それぞれ何回洗ったかを数える。
変えなくていい。数えるだけでいい。
01
「洗う」は、ひとつの言葉で三つのこと
話を始める前に、分けておきたいことがある。
「洗う」という一語の中に、まったく別のものが三つ入っている。
- 水だけお湯で流す。こする。それだけ。
- 石鹸油脂とアルカリからできている。pHは9〜10のアルカリ性。
- 合成の洗浄成分石油や植物から作る。これも一括りにできない。強いものと穏やかなものの差が、石鹸との差より大きいことがある。
この三つを混ぜたまま話すと、答えが出ない。「洗うと肌の菌はどうなるか」を調べた研究の中には、何で洗ったかが書かれていないものがある。
だからこのページでは、いつも「何で」を書く。書けないときは、書けないと書く。
ここが最初の分かれ道になる。「洗う/洗わない」ではない。何で、どのくらい ── 選べるところは、そこにある。
02
広告5枚。月二回が、毎日になった
日本で「シャンプー」の名前で商品が出たのは1932年(昭和7年)。そのころ、髪を洗うのは月に1〜2回だった。
そこから、同じ会社の広告を並べてみる。
- 1932年「せめて月二回は!」── お願いしている。
- 1935年「御洗髪は一週一度!」── 言い切っている。
- 1965年「夏の髪洗いは5日に1度!」── すすめている。
- 1976年「毎日シャンプーしたっていいんです。」── 許している。
- 1983年「ティーンの2人に1人は毎日シャンプーしてる」── もう、みんなやっている、という言い方。
1976年の一行が、いちばん多くを語る
「したっていいんです」と言うためには、その前に「してはいけない」がなければならない。許可という言い方は、禁止があった証拠になる。
つまり1976年の時点で、毎日洗うことはまだ「やりすぎ」だった。
そして1983年、言い方が変わる。すすめるのをやめて、「2人に1人はもうやっている」になった。
すすめられると、断れる。
遅れていると感じると、断りにくい。
50年で、月2回が毎日になった。およそ15倍である。
その50年で、人の体のほうは変わっただろうか。汗の量は。皮膚は。
03
中身も、同じころ入れ替わった
回数だけの話ではない。何で洗うかも、同じ時期に動いている。
昭和30年代(1955〜64年)に、日本のシャンプーは石鹸から合成のものに移った。それまでは石鹸シャンプーだった。1965年の「5日に1度」の広告は、その移り変わりのただ中に出ている。
合成の洗浄成分が生まれた理由も、記録に残っている。1916年のドイツ。第一次大戦で油脂が足りなくなり、石鹸が作れなくなった。肌のために生まれたのではない。もうひとつ、硬水だと石鹸カスが出るという事情もあった。
「肌にやさしい」という言い方は、あとから付いてきたものである。
回数と中身は、別々に動いたのではなく、一緒に動いた。この二つを分けて考えると、どちらの話をしているのか分からなくなる。
04
これ、誰が調べたんだろう
ここまで来て、当然の疑問が出てくる。結局、何で洗うのがいいのか。
調べた人はいる。論文もある。ただ、その前に見ておきたいものがあった。
医学の世界でいちばん格の高い資料のひとつに、コクラン・レビューというものがある。世界中の研究を集めて比べる仕事である。2017年、そこが75件の研究・8,000を超える試験を数えて、こう出した。
- 分かったことお金を出した会社に有利な結果と結論が出やすい。
- どのくらいリスク比 1.27(95%信頼区間 1.17〜1.37)。
- どこから入るか問いの立て方と、都合のよい結果だけを報告すること。
- いちばん重いところこの偏りは、ふつうの「研究の質」の点検では見つけられない。そして、企業がお金を出した研究のほうが、方法の質はむしろ高かった。
最後の一行が効く。
よくできた研究に見える。それでも、結論は出した側に寄る。だから「ちゃんとした研究だから」という理由では、この偏りをよけられない。
コクラン自身が、お金の出どころを点検項目に入れるべきだ、という論説を出している。
だからTANEでは、何かを調べたら、必ず四つ書くことにした。
誰がお金を出したか / 期間はどれだけか / 人数はどれだけか / その結果で誰が得をするか。
分からないものは「不明」と書く。「不明」と書けることのほうが大事である。
05
両方の会社が、自分に有利な答えを出した
その物差しを持って、石鹸と合成を比べた論文を二つ読んだ。
- 2022年の総説書いたのは、石鹸を使わない洗浄剤を売っている会社の科学部門の3人。結論は「合成のほうが優れている」。論文には「外部資金を受けていない」「利益相反はない」と書いてある。
- 2025年の論文書いたのは、石鹸を売っている会社の4人と、大学の1人。結論は「石鹸のほうが毒性が低く、よく分解する」。こちらは資金元の社名と、著者3人の給料を負担したことまで書いてある。
どちらも、うそはついていない。データも実験もある。
ただ、何を測るかを決めるだけで、答えは寄る。肌の水分を測るか、水に流したあとを測るか。それを選ぶのは、調べる人である。
二つ並べて、はじめて見えるものがあった。
合成の会社が調べたら、合成がよかった。
これは告発ではない。そういう構造がある、という記録である。誰が悪いかは書かない。分からないからだ。
06
それでも、両側が同じ向きを指した数字
面白いことに、ひとつだけ、両方の側から見て同じ向きになったところがある。肌の話ではなく、水に流したあとの話である。
魚が半分死ぬ濃度
数字が高いほど、たくさん入れないと死なない、ということになる。
合成洗剤の主力(LAS)
mg/L
石鹸
mg/L
石鹸は、およそこの倍
入れないと同じにならない
1 mg/L は、1リットルの水に1ミリグラム。とても薄い。
28日たって、どれだけ水にかえるか
石鹸
% 分解した
ある合成成分(SDB)
% ほとんど残る
LASのほうは、濃くなると下水の分解のはたらき自体を止めてしまうという報告もある。
ここで正直に書いておきたいことが二つある。
ひとつ。この魚と分解の数字は、石鹸を売る会社の研究から出ている。ただしLASの1.67という値のほうは、洗剤側の業界団体が出した資料の値である。だから、この点については両側が同じ向きを指している。
ふたつ。石鹸も無害ではない。石鹸カスは魚のえらを詰まらせる。
肌の話と、流したあとの話は、別の問いである。ひとつの答えでは足りない。
07
群の平均と、ひとりの体は別
ここが、このページでいちばん大事な但し書きになる。
研究が言えるのは、たくさんの人を集めて平均を取ったときのことである。あなたの体に何が起きるかとは、別の話になる。
実際、こういうことがあった。
- 研究が言っていることpHを肌に近づけた合成の洗浄剤は、石鹸より角層の脂を奪いにくい、という報告がある。
- 私に起きたことその「穏やか」とされるもので、肌が乾燥して荒れた。
どちらも本当のことで、矛盾していない。
平均が語れるのは群のことで、体を持っているのはひとりだからだ。
だからTANEは、答えではなく軸を渡す。「これが正しい」と言えないのは、遠慮しているのではなく、そもそも言えないからである。
08
言葉のほうが、覚えている
石鹸より前、人は何で洗っていたのだろう。
灰汁(あく)である。木を燃やした灰を水に浸けて上澄みを取る。それで洗っていた。
そして、日本語にはこういう言葉が残っている。
- 垢抜ける「垢が抜けてさっぱりする」から、洗練される意味になったとされる。ただし「あか」は垢ではなく灰汁で、野菜の灰汁抜きが転じたという説もある。どちらとも決まっていない。
- 足を洗う僧が裸足で外を歩き、寺に入る前に足を洗った。外の煩悩も一緒に洗い清める意味を含んでいたとされる。だから「悪い暮らしをやめる」が、体の一部を洗う言葉になっている。
- 禊(みそぎ)「ミソソギ(身滌)」の約とされる。「そそぎ」は「すすぎ」の母音が入れ替わったもので、「すす」は水の音を写した言葉だという。言葉の中に、水の音が残っている。
- 清潔は敬神に次ぐ英語の "Cleanliness is next to godliness"。聖書の言葉だと思われているが、聖書にはない。1778年ごろの説教の一節である。
日本語でも英語でも、「洗う」と「正しさ」が、ひとつの言葉の中で結びついている。
灰汁説が本当なら、言葉のほうが、道具を覚えていることになる。石鹸より前に何を使っていたかを、言葉が持ち続けている。
WHAT TO LOOK AT / 見どころ
次に何かを読むとき、どこを見るか
洗うことに限らない。三つだけ。
- 誰がお金を出したか、書いてあるか書いてあれば、それだけで誠実な資料である。書いていないときは「不明」と置いておけばいい。
- 何で、を書いているか「洗う」としか書いていない話は、水と石鹸と合成が混ざっている可能性がある。
- いつの話か、どのくらいの期間か4週間で差がなかったことは、30年で差がないことを意味しない。長いほうは、まだほとんど分かっていない。
分かっていないこと
正直に書いておく。このページで答えが出ていないもの。
- 長く続けたらどうなるか洗う回数の長期的な影響は、研究者自身が「ほとんど分かっていない」と書いている。
- 戻るのにどれだけかかるか肌の常在菌が乱れたあと、元に戻るまでの時間。
- 泡と、落ちた汚れの関係泡が多いほど落ちている、という根拠は見つからなかった。
- 独立したお金で調べた比較売っている側でない人が、長い期間、同じ物差しで比べた研究が見つからない。
TRY IT / やってみる
今日、数えてみる
変えなくていい。数えるだけでいい。
手・顔・体・髪。今日、それぞれ何回洗っただろう。
そのうち、自分で決めたものはいくつあるだろう。
数えてみて、ひとつだけ変えてみたくなったら、それでいい。回数でも、道具でも、どちらでもいい。
合うものを見つけるのは、やってみて、違ったらまた変えることの繰り返しになる。時間がかかることもある。案外、やらないこと・引くことのほうが大切なときもある。
たったこの100年くらいで
使うようになった、洗う道具。
歴史から見れば、異質なのは
そちらのほうだ
体のこと。回数や道具を変えるときは、肌の様子を見ながら少しずつ。乾燥・かゆみ・赤みが出たら戻す。皮膚の病気があるときは、自分で決めずに医療者に相談してください。
NEXT / つづき
この続きを、冊子でも
同じ「洗う」を、棚の前で開ける形にまとめたものがあります。LINEで合言葉を送ると、全文が届きます。無料です。
合言葉は あらう(🔴 未確定)
この号の材料
広告の文面は、花王のシャンプー広告(1932年・1935年・1965年)、カオーソフト エッセンシャル(1976年 non-no 120号)、エッセンシャル キューティクル・ケア(1983年)から。
洗髪の回数が戦後に月1〜2回だったことと、昭和30年代に石鹸から合成に移ったことは、花王が公開している社史から。
お金の出どころと結論のかたよりは、Lundh ら(Cochrane Database of Systematic Reviews, 2017)。75件の研究、8,000を超える試験を比べたもの。
石鹸と合成を比べた二つの論文は、Ego Pharmaceuticals 科学部門の3名による総説(2022年)と、シャボン玉石けん株式会社の4名ほか1名による論文(PLOS One, 2025年)。それぞれの資金の書き方は、論文自身の記載から。
魚が半分死ぬ濃度と28日の分解率は、上のPLOS One(2025年)から。LASの1.67 mg/L は、洗剤側の業界団体が出したOECDの資料の値。
合成の洗浄成分が1916年のドイツで生まれた経緯と、硬水の事情は、界面活性剤の歴史についての複数の資料から。
「垢抜ける」「足を洗う」「禊」の語源は、国語辞典と語源辞典の記載から。灰汁説を含め、どれも諸説あるものとして書いている。
"Cleanliness is next to godliness" がジョン・ウェスレーの説教(1778年)から来ていて聖書にはないことは、複数の出典で一致している。ただし年については1791年とする記載もある。
確かめられていないことは、確かめられていないと書きました。